マルティーナ・フランカ


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マルティーナ・フランカ市は南イタリア全体の中でも特に興味深い社会構造を持つ街の1つです。

北イタリア及びに中部イタリアの都市と共和政の開花は、何世紀にも渡る自治と市民としての義務を発端とした産物であり、市民権の成熟をもたらしました。

一方、南イタリアはたいていの場合、君主や貪欲な廷臣たちによって支配され、彼らの資質が民を左右しました。もちろん市民のせいではないのですが、そのような政治的背景が権力の乱用をもたらし、結果的に公的機関への反感をもたらしたのです。

ただ、南イタリアのプーリアは性質を異にします。そのプーリアの中でもマルティーナ・フランカは際立った存在です。街は中規模で人口約5万人、数多の世俗協会と宗教団体のそれぞれが独自の特性をもってアクティブに活動してきた市民の深い歴史があるからです。

2016年5月、神曲の完全オリジナル版を市民が朗読するイベントのためにマルティーナ・フランカ市へと赴いた際、私はある特別なことを発見しました。

700人の読者、小学生、商売人、専門家、聖職者や判事、囚人や教師、アラビア語で朗読した政治亡命者、加えて市の歴史協会、娘を持つ母親、非常に熱心な教員や生徒たち、これらの人々の内、幾人かは天国編の朗読中、神曲の概念を描き、暗唱。

そして3千人以上もの人々がカルミネ教会やサン・マルティーノ聖堂、サンタゴスティーノ修道院にて行われたこのイベントに参加したのです。

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サン・マルティーノ聖堂

フランスはトゥールの聖マルティーノにささげられたこの聖堂は、後期ロマネスク様式の教会の跡地を使用し、1747年に建設が始められました。その聖堂文書館には1348年作の羊皮紙文書が保管されていたことが既に確認されています。

この元の教会で、今日まで残っているのは鐘楼と聖具室の一部のみです。

14世紀、内外の建築構造に関する資料の欠如にもかかわらず、ターラント大司教のレーリオ・ブランカッチョ(1594)の、来訪時にその独特な特徴が認められたことが、歴史家ジョヴァンニ・リウッツィの分析と、2007年の修復作業中に行われた建築的発掘によって明らかになりました。

建物はしたがって、1500年代初頭から1700年代半ばの2世紀半に渡り、多くの変遷を経た後、司祭長イシドーロ・キルッリの意志により、ミラノの建築家、ジュゼッペ・マリアーニ設計による、バロック後期様式の現在の聖堂を建てるべく、古い建物が取り壊されました。

その決定は、1743年2月20日に起きた地震で損傷を受けた箇所を補強する必要から下されたものです。こうして1700年代の洗練されたスタイルが建物外観にもたらされることになりました。

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スタービレ館

スタービレ館はマルティーナ・フランカ歴史的市街区内にある貴族のすばらしい館の内の1つです。1700年代のマルティーナ・フランカで特に重要なファミリー、スタービレ家を代表する存在であり、とりわけ、聖堂翼廊に置かれた、柱に縛り付けられたキリスト像の祭壇の注文主でもある、ヴェナーフロ・フランチェスコ・サヴェーリオ・スタービレ司教(1754~1788)の遺産の代表的なものです。

教会の背後に位置し、常に密接な関係にあるこの建物は、19世紀に数度に渡って行われた改修工事にもかかわらず、マルティーナ・フランカのロココ様式の典型的要素を今に残しています。

建物正面は縦に伸びる2つのロッジア(片側に壁がない屋根付きの柱廊)の重なりが際立った印象を与えます。内、下にある、大きな方のロッジアは錬鉄製で装飾がふんだんに施された欄干と、ドーム型ヴォールトで飾り立てられ、しっくい仕上げで直線と曲線とから成るコーニスが特徴的です。

各階の境を示す外壁の境界線である、非常に突き出たコーニスは、建物正面に見られるオープンスペースを2つに横に分けています。

その中央にある、スタービレ家の紋章が目に留まります:中心に伸びた柱の脇に2匹のライオン、その上に2輪のユリ、そして柱の頂点に尾の付いた星、というデザインです。

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IL MUSEO

マルティーナ・フランカのサン・マルティーノ聖堂は芸術の宝庫です。
500年間に渡り、この、すばらしい教会は最高の技量でもって制作された、典礼のための調度品や歴史文書を収集してまいりました。イタリアの中のこの小都市マルティーナ・フランカに毎年いらっしゃる何千人ものご訪問者のために開館される美術館の展示に、今すぐ役立つことでしょう。

聖堂の、関連文化施設の1つである聖堂美術館、略称MuBaが置かれているスタービレ館はマルティーナ・フランカの歴史的市街区中心部にあります。そこには迷路のような、回廊、広場、路地があり、強い結びつきを持って何かあればすぐに助け合い、共に過ごすことを楽しむ地域住民の方々が住んでいます。

展示されている典礼に使われる、宝物(聖杯、聖体顕示台、聖遺物箱、プルヴィアーレやダルマチカ、カズラといった祭服、羊皮紙にかかれた祈祷文や、グレゴリオ聖歌楽譜といった典礼のための文書コレクション)は今も宗教祭に使われています。
福音と芸術、神のお告げと迎えられた人々の出会いを証言し、伝え、そして我々の間にある神の存在の「神秘」をこうして目に見える形で示してくれるものです。

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資料館

聖堂博物館と隣接の資料館「大司教ニコーラ・マルジョッタ館」は2006年、文化財・環境保護省より歴史的価値が認められた、重要な文書類を保管・管理、また教会所有の羊皮紙にかかれた典礼用写本の数々を収める貴重な資料館です。

資料館では1348~1730年の品で1998年に修復された、160の文書類、300冊の正経書、34通の様々な書簡、さらに53冊の羊皮紙写本を保存しています。それぞれの内容は教皇の贖宥、ローマ教皇庁の通達、ターラント大司教からサン・マルティーノ教会司祭への特権認可、真正の聖遺物や世俗財産をサン・マルティーノ教会に寄進する旨を記した公正証書類です。

1600年代末とその1世紀後に編集、多くの章が収集された大変かさばる、Platea reverendissimi Capituli civitatis Martinaeは手書きの約1000枚の紙で構成された、特に重要な文書であることが、歴史家、ジョヴァンニ・リウッツィの研究により明らかになりました。そこにはサン・マルティーノ教会、さらにはマルティーナ・フランカ市と市の著名人の全てのニュースが収集されています。

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聖堂紹介

Mons. Franco Semeraro

Direttore del Museo

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Arch. Gianfranco Aquaro

Progettista e direttore tecnico

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Ing. Giuseppe Mandina

RUP

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